2009年2月23日月曜日

頭蓋底奇形腫(ずがいていきけいしゅ)

俳優 布川敏和(ふかわとしかず)さん 43

「娘の難病」(1)誕生後すぐ 「頭に腫瘍」の告知
 2001年1月12日、東京都内の病院で次女、花音(かのん)ちゃんが誕生した。
 アイドルグループ「シブがき隊」の“ふっくん”も35歳。
 タレントのつちやかおりさんと結婚し、10年目を迎えていた。
 結婚直後に年子の長男、長女が生まれ、最初から子ども中心の生活だった。
 子どもたちの「弟(妹)が欲しい!」という熱い思いに応えた3人目。
 「僕の提案で、家族全員でお産に立ち会うことになりました」
 分娩室に元気な産声が響いた。
 「やった!」。だが、しばらくして異変に気がついた。
 医師が鼻から吸引の管を入れようとするが、入らない。
 「のどが腫れて、呼吸がしづらそうなので、新生児治療室に運びます」
 11日後、国立小児病院(現・国立成育医療センター)の新生児集中治療室(NICU)に転院。
 正式な病名の告知を受けた。
 「頭蓋底奇形腫(ずがいていきけいしゅ)」。
 のどの奥から後頭部に広がる腫瘍で、難しい手術が必要だという。
 「退院は1年先か、もっと先か、わかりません」
 「カミさんは、保育器に入った花音の手をさすって『ごめんね』と泣き続けるんです。僕自身も怖かった。でも、『大丈夫だから』と慰めることしかできませんでした」
(2009年2月9日 読売新聞)

「娘の難病」(2)腫瘍摘出には後遺症の不安
 次女の花音(かのん)ちゃんは、のどの奥にできる「頭蓋底奇形腫(ずがいていきけいしゅ)」というまれな病気で、生後すぐに新生児集中治療室(NICU)に入院した。
 腫瘍がのどをふさいで十分呼吸ができず、ミルクも飲めない。
 まず、胃に穴を開け、直接ミルクを流す「胃ろう」の手術を行い、体重が増えてから腫瘍を取ることになった。
 仕事の合間を見つけてはNICUに向かい、妻のかおりさんと看病した。
 口や鼻にチューブ、腕には点滴。
 両腕は管をはずさないように縛り付けられたまま。
 先が見えない、重苦しい日々。
 支えてくれたのは、医師や看護師の温かい配慮だった。
 ある日、面会に行くと、寝たきりの娘の気分転換にと、看護師が花音ちゃんを小さなかごに入れ、NICUを“散歩”していた。
 タオルに包まれ、ちょこんと座った小さな姿に思わず笑みがこぼれた。
 そして、ほかの親たち。「子どもの前では絶対、悲しい顔をしない。ああ、みんな頑張っているんだなあ、と」
 胃ろうの手術と同時に行われた検査で、腫瘍は良性だとわかった。
 だが、腫瘍を取らないと呼吸はできず、手術で神経が傷つけば障害が残るかもしれない……。
 まだ予断は許されなかった。
(2009年2月16日 読売新聞)

「娘の難病」(3)廊下外出
 兄姉らと初対面 2001年5月。
 生後4か月の次女、花音(かのん)ちゃんは、のどの奥にできる「頭蓋底奇形腫(ずがいていきけいしゅ)」を取る手術を受けた。
 腫瘍は大きく、取りきれなかったが、のどの周囲を切除して、人工呼吸器なしで息ができるようになった。
 晴れて新生児集中治療室(NICU)を卒業。
 小児病床に移った。
 NICUも小児病床も、入室できるのは両親だけ。
 花音ちゃんの誕生を待ち望んだ長男の隼汰(しゅんた)君、長女の桃花(ももか)ちゃんはガラス越しにしか会えなかった。
 容体が安定して退院のメドが立ったころ、初の“廊下外出”が認められた。
 隼汰君、桃花ちゃん、両家の祖母、曽祖母が廊下脇のプレイルームに集まって、順番に花音ちゃんを抱っこした。
 記念のビデオには、はにかんで、緊張した面持ちの兄姉が映っている。
 「この光景を思い出すと、今でも胸にぐっとこみ上げるんです」。
 ようやく、家族が一つになれた。
 そして、2007年春。
 花音ちゃんは、元気に小学校に入学した。
 退院後も手術を受け、4歳半で腫瘍はようやく消失した。
 入学を機に、妻と「涙のち笑顔」を出版、初めて娘の病気を公表した。
 「ほかの方の闘病記に励まされてきました。僕たちも何かできないか、と思ったのです」
(2009年2月23日 読売新聞)

こんなに小さい子供、そして家族がどれだけ大変な想いをして過ごして来たかと思うと心が痛む。
布川夫妻とは同世代だけに余計に思い入れが深いし、中学生時代の大ファンだったアイドル。
自分の病気でネガティブではいられないね。
世の中には数え切れない程の難病に苦しむ人たちがたくさん居る事を改めて痛感させられた。
もっともっと前向きに人の為に生きたい。
小さい事でうじうじ悩みたくない。
素直に且つ前向きに生きよう。
勇気をくれてありがとう!

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